美しい国へ 安倍 晋三著
文春新書 ¥ 767
私は、『美しい国へ』というタイトルを最初にみたとき、たいへん安倍さんらしいなと思った。文春から刊行されたこともまた彼らしい。普段TVで見ている時、彼について感ずることは、”真っ正直な人間みたくみえる”ということ、そして”レフトの方々に特有なうさんくささと偽善ぶり”が全くかいま見えないことだった。是を評して、彼を”理想かぶれのお坊ちゃん”と見られる向きもあるようだが、祖父に岸信介、父に安倍晋太郎を有する血統だけあって、”自主独立の気概あってこその国民の安泰”を信念とする『闘う政治家』(本書より)、そして”自国民は何があっても守る”という『優しき政治家』であった。世界における昨今の保守政治家に決して劣らない、今般の日本には非常に希有な真の政治家であられる。その熱誠ぶりついては、本書をご観覧されれば、遺憾なくそれが奔騰していることを読者は見出すであろう。彼は最後の一卒となっても”国民を疎かにはしない”、これをしかと確信するに至った。確固とした国家観、歴史観、教育観、かつ国民への温かな眼差しに裏打ちされた”安倍晋三”という代議士を改めて見直した。NationalあってこそInternationalたりうること、かつ二世あるいは三世だからこそ国家、国民の為に私心なく殉ずる気概を担うことが出来るのだ、ということをも改めて強く思念したのであった。“祖国の大地を爽やかに、しかし力強く駆け抜ける風”といったらよいだろうか、今般の政治家の方々の記したものにはこのような類がまれな中、本書を評してこう述べても決して過言ではあるまい。我々の祖国日本の将来への希望が、確かな手応えとともに大きく高まった読後のひと時であった。”へめぐりてあまたの国のさまを見て住むべき国は日本とぞ思ふ”(河上肇著『祖国を顧みて』岩波文庫)。この一句をもって、一教育者としての私のささやかなるレビューとする。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/84776/ 安倍首相、短期間に業績…米で高評価 配信元:09/16
08:00 産経新聞 【ワシントン=古森義久】日本の民主主義やナショナリズムの研究を専門とする米国ジョージタウン大学東アジア言語文化学部長のケビン・ドーク教授は14日の産経新聞とのインタビューで、安倍晋三首相の辞任表明に関連して、安倍氏が米国では日本の歴代首相のうちでも「明確なビジョン」を持った指導者としての認知度がきわめて高く、米国の対テロ闘争への堅固な協力誓約で知られていた、とする評価を述べた。 ドーク教授はまず安倍首相の約1年に及ぶ在任の総括として「安倍氏は比較的、短い在任期間に日本の他の多くの首相よりもずっと多くの業績を残したが、その点がほとんど評価されないのは公正を欠く」と述べ、その業績として(1)教育基本法の改正(2)改憲をにらんでの国民投票法成立(3)防衛庁の省への昇格-の3点をあげた。 同教授は米国の安倍氏への見方について「米国では安倍首相への認知が肯定、否定の両方を含めてきわめて高かった。たとえば、森喜朗氏、鈴木善幸氏ら日本の他の首相の多くとは比較にならないほど強い印象を米側に残した。慰安婦問題で当初、強く反発したこともその一因だが、日本の今後のあり方について明確なビジョンを示したダイナミックな指導者として歴史に残るだろう。安倍氏が米国の対国際テロ闘争に対し堅固な協力を誓約したことへの米国民の認識も高い」と語った。 ドーク教授は安倍氏の閣僚任命のミスなど管理責任の失態を指摘しながらも、「戦後生まれの初の首相として日本の国民主義と呼べる新しい戦後ナショナリズムを主唱して、国民主権の重要性を強調し、対外的には国際関与を深める道を選んだ。安倍氏が『美しい国へ』という著書で日本の長期の展望を明示したことは、今後消えない軌跡となるだろう」とも述べた。 同教授はさらに「逆説的ではあるが、安倍氏の辞任表明の時期や方法も、それ自体が業績となりうると思う。健康上の理由、政治上の理由、さらには唐突な辞任表明での責任の問題もあるだろう。だが安倍氏が国民投票法など本来、まずしたいと思ったことを達成し、さっと辞任するという動き自体が今後の政治指導者の模範例となりうる」と語った。 同教授はまた「現在の日本での安倍氏への評価は戦後の旧来の産業社会の文化や規範を基準としており、情報社会の文化基準を適用していないために、『戦後レジームからの脱却』などがあまりよく理解されず、支持されないのだろう」と説明した。 【プロフィル】ケビン・ドーク氏 1982年、米国クインシー大卒、シカゴ大で日本研究により修士号と博士号を取得、ウェークフォレスト大、イリノイ大での各助教授を経て、2002年にジョージタウン大に移り、東アジア言語文化学部の教授、学部長となる。日本での留学や研究は合計4回にわたり、京大、東大、立教大、甲南大、東海大などで学び、教えた。著書は「日本ロマン派と近代性の危機」「近代日本のナショナリズムの歴史」など。
世界共和国へ—資本=ネーション=国家を超えて 柄谷 行人著
岩波新書 ¥ 777
著者は、”世界共和国”と題する最終章においてこう述べている。『われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、それによって国際連合を強化・再編成するということです。たとえば、日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものです。各国でこのように主権の放棄がなされる以外に、諸国家を揚棄する方法はありません。各国における「下から」からの運動は、諸国家を「上から」から封じ込めることによってのみ、分断をまぬかれます。「下から」と「上から」の運動の連携によって、新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニケーション(アソシエーション)が徐々に実現され(る)』世界共和国の実現へと導かれる、と。一見なるほどと思わせられる帰結である。しかしながら、それを断行するには、国連とは別個の絶対的権力の存在が不可欠であると思われる。なぜならば現行の主権国家が、自ら既存の主権を手放すことは非現実的であるからである。では、その役割をいったいどのような公権力が担えるというのか?この当然提起されるべき疑問に対し、著者はこう続けるのである。『もちろん、その実現は容易ではないが、決して絶望的ではありません。少なくともその道筋ははっきりしているからです』。ところが、これをもって本論は完了され、”あとがき”へと至るのである。プロとしての著者の文章力、ならびに構成能力について私ごときが議論する余地はない。その一方で、しかしながら僭越とはいえ、“机上の空論”とはまさにこのようなことをいうのであろうかと、私は複雑な読後感に浸っている。今後への問題提起という点においては、本書は有意義かもしれない、が、これによって、無自覚、しかも自己責任を果たし得ない“無国籍”の日本人が更に醸成されるならば、私は一教員として、著者の責任は極めて重いと断じざるをえない。